山上容疑者の100年後
前号の本欄の最後に「狙撃犯人は最大級の国賊と言って差し支えない」と書いた。でもこの1か月山上徹也の情報を拾うたびに彼の人生に同情の思いも強くなってしまった。死刑を無期懲役にというのではない。それはそれで結構だ。精神鑑定もいいだろう。おそらく「正常」との結果となるはずだ。 安倍晋三前総理大臣の悪口をブログにアップすると、決まって削除されるという現象が起こっているという。仲間の一人がそう話してくれた。私の場合は、別に自民党支持者の怒りに触れるような悪口を書いているわけではないので、そのような目に会うことはないはずだ。現場で取材し、関係者に問い合わせるといったこともしていない。主な仕入れ先は週刊誌のルポ記事である。「週刊新潮」「週刊現代」「週刊ポスト」「週刊朝日」「週刊文春」が手元にある。主張もみな似ている。そこから少しだけひねって考えて書くだけで、これでは特別のスクープや新たな見解を提示できるとは思ってはいない。ただただ山上徹也容疑者の生い立ちを知るほどに彼の心情に心を寄せてしまう。その傷ましい心に同情して、「そうか、そうか、孤独で辛かっただろうな」とつい同情してしまうのだ。特に7月には生活費も枯渇し、万事休すとなるところだったとなれば、銃撃を急がねばならなかった。刑は無期懲役どころか死刑も恐れるものではなかったはずだ。うした大事件を起こす人達は自分の命なんて露ほども大事にしたいと思わないはずだ。 彼が4歳の時、DV夫であった父親が自殺し、母親は統一教会にのめり込んで自己破産する。兄は生まれながらに小児がんを患い片目を失明。彼も自裁する。お金がなく大学進学を断念して海上自衛隊に任期制で入るもなじめず、自殺未遂を図ることもあった。親や社会から取り残された子どもの悲鳴に似たものを感じる。 ただ彼は統一教会と自民党のゆがんだ関係を再認識させてくれたのも事実であろう。日本社会の不条理をあぶりだしてくれた。 山上容疑者の孤独な忍従の日々を思うと、同情の念を禁じ得ない。父親に自裁され。母親に裏切られ、兄も死んでしまう。進学の道も閉ざされた。彼の言葉に、教団への恨みはあるが、思いを達成できないと、端からあきらめている。かれの言葉の中に花鳥風月がない。可愛がった犬猫の思い出も出てこないし、祖春季につきものの恋の話も出てこない。そうして自らの運命に耐え忍んできた。そして思考は突如、向きを変えて安倍元首相に向かってしまった。生い立ちは想像する以上に過酷な半生といえる。 学生時代は口数少なくおとなしく、それでも親しみやすく応援部に所属し、「こてつ」とよばれていた、ニコニコしていたという印象だ、 過日、編集者仲間と「安倍晋三はなぜあんなにも長く君臨できたのだろうか?を話し合った。 私は、身長の大きさ、笑顔の良さ、どなたとも仲良くできる天性の人の良さを挙げてみた。あまり人を疑うことをしなかった。ために、自身がテロによって襲撃されることなどそれほど考えてはいなかったと思う。そうしたところはお坊ちゃま育ちと揶揄されても仕方がないだろう。 私は今回のことを現在の考えで解決したいとは思わない。できない相談だし。だが、あと100年過ぎて、いや500年が来て、山上さんも、警察のひとも、すべての人が死んで亡くなって、それでも後世の人たちの手で彼の凶行の検証が行われた時、彼はキリストの復活やガリレオ・ガレリイのように復活の栄誉に輝いていることを夢想してみたいと思う。彼の放った銃弾のせいで、宗教法人が清浄化され、政治と宗教の闇が糺されたとすれば、それも山上氏の犠牲の賜物と言えるのではないか。彼の育った家庭環境は確かに悲惨で深刻なものであろう。本来は、政治や宗教はこうした子どもたちを救う存在でありたい。でも実態はそうでもないのだと思う。霊感商法に出会ったことはないが、それまがいの接触にあったことはある。宗教に捕らわれた友人たちはみないい奴だった。が、彼岸のかなたの住人となってから話はあわない。そうした経験はある。 ( 2022/8/15 )
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