和する勿れか、3.11
三陸地方の海辺に住む人たちには代々伝えられてきた言葉がある。《津波テンデンコ》だ。「揺れが続いたら、高台に逃げろ。テンデンコに。「てんでんこ」は、それぞれだ。といって子供・老人を見捨てよというのではない。ふだんから互いの行動をきちんと話し合っておいて逃げ遅れを防ぐのはもとより最大の前提だ。肝心な時に実行できなかった大川小学校の悲劇は末永く語り継がれるに違いない。児童84人、教師10人が犠牲となった日本教育史上最大の学校被災だ。怒る父兄達が県や市を提訴。一審では勝訴。だが県・市は控訴。最高裁まで行きそうな気配だ。遺族側は主張する。市の広報車が津波の危険を知らせ、校庭に集まっていた100人近い人間は耳にしているはず。50分後、教員は方針を決めようやく避難場所を目指した。その途中で大波に呑まれてしまう。最後方にいた市民3人と教師1人と児童1人は裏山に引き返し助かった。このため教師達に過失責任があるという論になる。亡くなった幼い命はなんとも痛ましいというしかない。 ただ大人達の判断ミスと言ってカンタンに責任の所在を決め付けられない気もする。みんながひとところに集まっていた時間、不安はあったが危機感まではなかったのではないか。正常な判断力には焦りと云うバイアスはかかっていなかったか。何も見えず、聞こえず、判断不能では。逃げなくてはという集団的呪縛が論理思考を阻害したのではと思いたい。 3月11日は東日本大震災から6年、七回忌だ。あのときの衝撃も時の経過で薄まる頃だろうか。年忌は死者を忘れぬための記憶回復儀式だ。阪神大震災は22年前に起きた。吐息の流れにつれ衝撃の記憶も薄まっていることは間違いない。歳月は人の悲しみを癒す。予想もしなかった災害や事件は出し抜けにやってくる。それゆえに想定外という形容が反復する。 人類は風に吹かれ、波に呑まれ、火山噴火に会い、土砂崩れ、雪崩と自然災害の脅威から逃れられない。それに原発の制御不能も加わった。岩手県大槌町は、震災後区画整理された土地で空き地ができる。空き地が増えれば復興に支障もでる。その一方復興事業は進む。国土地理院の取り組みで、津浪や土砂崩れハザード・マップづくりも進んでいる。そうして安全への取組がいくら完璧に近付いたとしても、災害犠牲者を無とすることは出来まい。 大川小学校の判決はわが印象では想定内。何しろ多くの児童が亡くなったのだ。避難指示を誤ったとされる教師も亡くなっている。とまれ補償に紆余曲折は避けられない。判決が出たとき、「子供たちの声が届いた」などとマスコミの話題を集めた。違和感を覚えた向きも少なくないはずだ。父兄は勝訴しようと子供たちのいない虚脱感・喪失感をぬぐえまい。予想を超える自然災害には、目は見えず、耳は聞こえず、何にせよ判断力を失う。幼い命を奪われたと駆け込み訴えれば、裁判官の心証も傾く。マスコミも原告勝訴を美談扱いとし世論も良かったと胸をなでおろす。が、控訴。最高裁までいくしかないのか。 夢物語ではあろう。父兄には怒りを抑え子ども達が天国で声を揃える「お父さん、お母さん、ここで待っているからね」という呼びかけに耳を傾けてほしい。親達は応え「逝くときは、迎えに来てね」と叫んでほしい。それこそが実に美しい光景ですべてはそこから始まるのでは。 ( 2017/03/10 )
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