忘年の交わり
年を重ねても集まる場があって楽しく飲み会をやり時間を共有できる仲間がいることはとてもいい晩年であると思う。 最初の出会いではよくわからなかった人も顔を合わせる回数時間が重なるなるに従って好ましい部分を知るところとなる。年は違っても同士、真の友と言えそうである。 では、青春時代に友情を結んだ友の存在をどう考えればよいか。これもまた友である。古くで懐かしい友といえる。長く友であったのはなぜだろうか。 長く続いた友情の人たちを見てみるとお互いに人格を尊重していて、嫉妬の心や嫉み、ひがみが少ないことのように思う。互いの人格を認めている。これはなかなかできないことだ。共にサマになる人生を生きていこうと前向きな人生を送る人にしか幸せは微笑んでくれないからだ。そういう中でしか友情の大輪の花は咲かない。若いとき、出会ってすぐに意気投合して生涯の友となる人もいないではない。それが10年待たずして疎遠になっている。利害関係が壊れたのであるか。「そうなんだ」と私は納得する。友が困っている時、何もしないケースは多い。このような場合でも友情はギクシャクし元には復しない。こうした試練がたくさん待ちかまえているから友情は成り難しなのである。 12月ともなるとクリスマスソングが街中に響き渡り、ネオンは輝きを増し、居酒屋の前では安くて美味しい酒肴があると誘うのだ。景気が悪かろうが良かろうが関係なしに年は暮れ新しい年はやってくる。その年恒例の流行語大賞はどんな言葉になるだろうか。昨年の「トリプルスリー」は記憶に留めておいでだろうか。あらゆる場所であらゆる媒体が飲み込むわけだから毎年沢山の新語が生み出される。言葉の寿命も短い。1月など早い月の言葉は消え去りやすい。ここは上半期、下半期の2期に分ける方がいいかもしれない。プロ野球はすでにやっている。 呑んで騒いでカラオケでストレスを解消するのも良いけれど、 年齢差に関係なく親しく交わることを忘年の交わりという。忘年会シーズンは忘年の友が見つかれば最高の1年というべきである。それは人生のもうけものでもあるからだ。 ( 2017/12/02 )
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