[渡邉重人さんを偲ぶ会]で
ある造園家の死、渡邉重人さんを偲ぶ会
昨年暮れ、神楽坂で「渡邉重人さんを偲ぶ会」に呼ばれた。LAU都市施設研究所(東京都新宿区)の山本忠順社長は、出身こそ建築であるが、造園コンサルタントとして信頼できる人として尊敬している。会社の頭にL(ランドスケープ)を掲げている。その山本さんから声がかかり、会社の仲間が企画した偲ぶ会に誘われた。
会場には昔の友人仲間の懐かしい顔が並び50人ほどが旧交を温めていた。故人もまたランドスケープアーキテクト、造園設計家だった。が、公共事業の縮減で経営がきびしくなり時間にも余裕ができた。それを機に設計家という飯を食う「職業」と自分の書きたいものを書くという「仕事」をする小説家としての二足のわらじを履く生活が始まった。
時代小説を書いて才能を開花させる。2009年1月選考の直木賞にノミネートされた。落選会見で「また頑張ります」と意欲を語っていた。いずれきっと悲願は達成されるだろうと心待ちしていた。ところがその後すぐに胃ガン手術、不運はさらに容赦なく襲い、肝臓に転移した。万事休す、8月亡くなった。
還暦を過ぎたばかりの作家の惜しんでもあまりある死である。死後、パソコンの中に遺書めいた一文が打たれていたという。そこには、「家族に恵まれて幸せだった」こと、ただ一つ残念なことは、もっともっと「仕事がしたかったこと」とあったという。そんな奥様の話にしんみりし、考えさせられもした。
仕事仲間だった先輩、後輩、仲間が次々と思い出話を語った。それぞれに味わい深いエピソードが披露された。手作りの素適ないい会であった。
北重人の最後の本「夜明けの橋」(新潮社)が12月21日発売された。開府間もない江戸で武士を捨てることを選んだ男たちの、慎ましくも熱い矜持を描く傑作である。創作メモには「町と人は滅びない。町が焼け、人は死んでも滅びない」とある。造園家らしい考え方だと思う。一読を。
広く解釈すれば造園の世界は多士済々である。庭、公園、都市、環境と、そのカバーする世界はあまりに広くそして深い。そんなだから、小説家がいてもおかしくはない。
筆者は会社経営者の渡邉重人(しげひと)は知らないが、作家の北重人(しげと)ならいくつかの作品を読んでいる。造園家の出ということは、無条件でうれしいことだからだ。
筆者もまた造園の新聞を出しているのだから、当然のことだ。傑出した才能の持ち主が世の中で喧伝されたなら業界の認知度も高まり、職業への誇りも増すだろう。スターの存在は必至である。
例えは良くないが、絵を描く人はわんさかいる。作品を集めたなら膨大な数になるだろう。それをもってしても、一枚のピカソの絵のほうを市場は評価するのである。
北重人は志半ばで倒れた。別に小説家とは限らないが、次に続く才能の登場を待ちたいと思う。 ( 2010/01/01 )
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