ランドスケープ・造園業界情報はインタラクション
新聞・出版事業 展示会・イベント事業 ランドスケープ・造園業界の環境イベントと展示見本市はインタラクション
サイトマップ
環境緑化新聞・インタラクションの出版物
環境緑化新聞
環境緑化新聞について
誌面サンプルイメージ
環境緑化新聞35年のあゆみ
環境緑化新聞 緑風
エッセイ「世のうちそと」
ご購読お申し込み
弊社出版物
定期出版物
刊行書籍
映像関連商品
ご注文について
ご注文リストを見る
特定商品取引法に関する記載
世のうちそと

 うるわしき大正新版画展を見て

よみがえる浮世絵―うるわしき大正新版画展を見て
回顧展期に再人気の動き


9月19日〜11月8日まで東京都江戸東京博物館で「よみがえる浮世絵ーうるわしき大正新版画展」が開かれた。江戸時代の浮世絵版画と同様の技法によって制作され、大正時代から昭和初期までに約2000点が制作された。これが新版画と呼ばれるもの。会場は5章構成で出品作品は前後期あわせ315図。版画とはいえ全部を見て回るのは骨である。以下、展示順にみていく。

第1章「新版画の誕生」。浮世絵の伝統に新しい技法を加味して1915年に始まった。東京の版元・渡邉庄三郎は輸出用版画の制作と復刻浮世絵の出版を経て、新版画の製造に着手したのだ。浮世絵の伝統を活かしつつも、それまでの常識をくつがえす彫りや摺りの技法を取り入れた。橋口五葉が制作した「髪梳ける女」(大正9年、江戸東京博物館蔵)は傑作として名高い。女性の白い肌や、浴衣の風合いをよく表現しており、ことに長い黒髪の質感には圧倒される。その五葉は1921年(大正10)2月、病に倒れ、40歳の若さで急逝してしまう。惜しい。

第2章「大正新版画と浮世絵」。1916年(大正5年)から1923年(大正12年)の関東大震災までの7年間は、新版画が最も華やかな時代を迎えたとされる。この章では、それらの過程が探られている。そして1923年(大正12)の関東大震災で、渡邉庄三郎はすべての版木を消失してしまう。不運極まりない。

第3章「新版画とモダニズム」。震災後の東京には復興とともに昭和モダニズムの空気が広まり、その空気は新版画にも投影される。川瀬巴水の「日本橋・夜明」(昭和15年、江戸東京博物館蔵)は最も人気の高い風景画の一つ。1940年の夜明けの日本橋の情景を爽やかに描き出した。また、ノエル・ヌェットの「東京風景・日本橋」(昭和11年、江戸東京博物館)はペンとインクで描かれたスケッチをもとに版画にされたもの。同じ場所を描いても構図もタッチも違っている。

第4章「日米の懸け橋、ロバート・ムラー、新版画コレクションの形成」とある。川瀬巴水「清洲橋」(昭和6年、アーサー・M・サックラー・ギャラリー・アーカイブス蔵)と運命的な出会いを果たしたロバート・ムラー(1911〜2003)氏の登場だ。彼は、版画の高度な技法や、まっすぐに自然や情景をとらえる内容に感銘を受けコレクションを始める。死の没後、ワシントンDCのギャラリーに寄贈され、このコレクションから今回30点が展示されている。

第5章「新版画の制作」は、その工程を紹介する。なかでも川瀬巴水「増上寺の雪」(昭和28年、江戸東京博物館蔵)は9枚の版木を使い、42度摺りという圧倒的な作品だ。川瀬は生涯に600点の風景版画を残し「現代の広重」とも呼ばれた。彼は、どこに行ってもすべて美しく絵になる、と語りなつかしい大自然と人間の生涯を慰め、親しまれ、たたえられていくだろうとも。1960年以降、制作者の老齢化や社会の変化によって、新版画の制作は終焉を迎えた。

だが、今日、再び新版画を見直す動きが国内外で見られる。大正の東京で誕生した「新版画」は「浮世絵」に続き、世界の共通語として定着しつつある。吉報というしかない。

( 2009/11/15 )

前のページ ( 22 / 100 ) 次のページ
ページの先頭に戻る
 
 
定期出版物ご紹介
環境緑化新聞
自然環境データBOOK
ECO-GREENTECH2007
LANDSCAPE&GREENERY
刊行書籍一覧
近刊書籍のご案内
環境ブックセンター
イベント・セミナー案内
ECO-GREENTECH
日比谷公園ガーデニングショー
主催・開催セミナー
 

環境緑化新聞 | 定期出版物 | 刊行書籍 | 映像関連商品 | 日比谷公園ガーデニングショー | エコ・グリーンテック | サイトマップ
会社概要 | 中国市場事業支援活動 | 社会貢献活動・NPO活動 | みどり提言賞のあゆみ | 環境緑化海外視察ツアー | バイオ-ステイク

copyright (c) Interaction Co., Ltd. All Right Reserved