棟方志功記念館
棟方志功記念館 板画、柵、油絵と多彩な芸業
棟方志功記念館は青森市に生まれた世界的な版画家・棟方志功の文化勲章受章を記念して昭和50年に開館した。場所は青森駅からバス15分ほど、松原2丁目に建つ。画伯が生まれた近くでもある。校倉造りを模した建物は池泉回遊式の日本庭園とよく調和し、落ち着いたたたずまいをみせている。
ここには代表作・板画「釈迦十大弟子」をはじめ、肉筆画、油絵、書などの多岐にわたる棟方作品を保管している。年4回展示替えをしながら順次紹介している。展示室は「1点1点の作品をじっくり見て欲しい」という棟方の希望から、広さは抑えてつくられた。このため毎回30〜40作品に限定しての展示なので鑑賞するに時間も広さもちょうどよい。
棟方は自分の作品について独自の表現をした。
自らの「版画」を「板画」とすると宣言。その理由は板が生まれた性質を大事にあつかわなくてはならない、木の魂というものをじかに生み出さなければダメ、板の声を聞く、という考えから、板画と書いて「はんが」と称したのである。
「身体ごと板画にならなければほんとうの板画が生れて来ない。わたくしを化物にされて欲しいという心持で板画を生ましていくのです。」(板画の道)
また、作品に「柵」(さく)を使った。納札、柵を打つ。四国巡礼で寺々を廻る時、首に下げた札を納めていく。一柵ずつ、一生の間、一つずつ、作品に念願をかけておいていく、柵を打っていく。いわば、作品のシリアルナンバーを打っていった。その作品世界はふるさと青森といってよい。
「故郷の土に生まれ、その土にかえるわたしは、青森の泣き笑いも切なさも憂いも、みんな大好きなものです。なんとも言えない、言い切れない、湧然没然があるのです。−またそれだからこその「青森」です。アオモリです。」(わだはゴッホになる)
ゴッホは画家の名前であることを当初は知らなかったという。唯一の母校は地元の長島小学校、独学で世界的な天才板画家に上り詰めた。昭和30年(1955年)サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展で最高賞を受賞したのだ。翌年ベネツィアでも国際版画大賞を受賞している。まず世界から認められたのだ。
昭和45年発表の「あおもりはの柵」(縦55×40cm)には、あおもりはかなしかりけり かそけくも 田沼に渡る 沢だかの風 の文字がある。 ビデオ上映を見ていると、子ども時代、近くに飛行機が落ちたとの情報に駆け付けたが、途中で転んでしまい、ちょうど眼の前の白い花に魅せられてしまったという。すてきなエピソードだった。
裏彩色(うらざいしき)も独自のことば。裏から絵具を着彩するのではなくて、しみ込ませて表面にまでしみ込んでゆく。それによって、板画と同じ他力による出来栄えを見ることができる。墨一色では感じがこめられない、というときの表現様式の一つに考え出されたもの。
ほかにも、肉筆画のことを偎画と称するなど、独特の作品世界をつくりあげたことがわかる。
今回、拝見したのは、夏の展示であり、油絵である。板画では神仏や女人、文学作品などをテーマに数多くの作品を制作した棟方だが、油絵では故郷や旅先の風景、家族の姿などを題材に、色彩を自由に用いてキャンバスに向かい合っている。油絵40点をはじめ、ほかに「釈迦十大弟子」など板画の代表作、多彩な芸業を堪能した。 ( 2009/08/15 )
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