「セブンガールズ」を見る
「セブンガールズ」を見る 女版「7人の侍」か
「セブンガールズ」(デビッド・宮原作演出)には総勢30人以上の役者が出て、舞台狭しと出入りし動きまわる。2時間半の長丁場を退屈させないのはすごい。みんな楽しんで自分の役を熱演している。劇団前方公演墳の上演作品の中で人気投票1位に輝いた本演は、そのリメイクであり5年ぶりの再演だ。
なぜ「セブンガールズ」なのか。実際は13人以上の女優が出てくるのに。劇中3人が亡くなり7人になるからということではないだろう。7という数字に「たくさんのパンパンガール」という暗喩をこめたのだろうか。戦争の犠牲になって何の罪もない庶民が苦界に身を埋めて生きて行くよりなかった。作者は多くの庶民がたとえどん底の時代であっても明日を信じて一生懸命生きる姿を「セブンガールズ」に託して語りかけたかったのであろうか。
皆さん若くて、美しい。ツライ境遇でも元気はつらつ生きている。衣装が派手なのはパンパンという職業のためであろうか。なんともゴージャスな雰囲気で、セリフの悲惨さに比べ舞台はとても華やかだ。
生まれも育ちも違ういろいろな女性達が集まる場所。淫売宿が舞台だ。育ちの良い愛理は馴染み客の役人とつき合っている。「戦争があって出会えたのだから、今が幸せならば、それだけで幸せ」とけなげに語り、他の女と見合い結婚するために去っていく彼をあきらめる。愛理役は静かだが芯は強く人生の荒波に耐えながら、人生を肯定する。こんな難しい役を演じた円谷奈々子さん。彼女の凛として抑えた演技には深く感動するものがあった。
典型的な娼婦はコノ役。これははまり役か。彼女の迫力の前には、他の娼婦はそれほどリアリティがなく霞んでしまう。いつも煙草をくゆらし、つっけんどんな物言いの娼婦は確かにいるという気持ちにさせられる。
長崎の原爆で家族を失ったマリア役は、優しい人柄がにじみ出て目を見張るほどのいい女に造形され、役柄にもぴったりはまっていた。笑顔がステキだ。題材は切ないものだからこの話は悪くはない。原爆症のためにひとり長崎に帰る設定だ。このようなエピソードは常套手段で、作者にとっては書かなければならない挿話だったのだろう。
郁子の役はもうけ役だ。メガネを掛け、おしゃべりでおせっかい。でももてなくてもめげない。楽しそうに演じている。達者な役者だと感心した。ミチルと名乗る新人パンパンの役は、最初は無垢で清楚で身震いするようないい女の子で登場する。先行きどんな運命に見舞われるのかと期待をもたせる。が、予想した通りのあばずれに変身、すご腕の女子に変身、そのギャップにギャフンときた。関西弁を使う真知はかいがいしく恋人の世話をするがむくわれない。道絵も失恋組だがめげていない。
人を思いやり仲間を大切にし、生きている。「きっと、明日は晴れるはず」という前向きなメッセージがこの芝居の基調音になっている。
猫と呼ばれる娼婦は最後に男に刺されて死ぬ。その時、それまで失語症のために一言も発することをしなかった妹が「姉ちゃん」と叫ぶ。観客はここで涙を流すに違いない。切なさは最高潮に達し、最大のカタルシスがやってくる。ここで幕となれば、余韻がのこったであろう。
セブンガールズは黒澤明の「七人の侍」と重なる部分もないではない。そう「七人の女サムライ」の物語として楽しませていただいた。 ( 2009/06/15 )
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