文楽「敵討襤褸錦」のおもしろさ
文楽「敵討襤褸錦」のおもしろさ 人形劇にふさわしい仕掛け随所に
東京・三宅坂の国立劇場で人形浄瑠璃文楽の2月公演を観劇(6日〜22日)した。「敵討襤褸錦」(かたきうちつづれのにしき)の切りに人間国宝・竹本住太夫が登場、満員御礼の盛況ぶり。登場するとひときわ高い拍手が人気のほどを納得させた。「敵討襤褸錦」は、仇討ち物の演目としても異色の作品である。父親春藤助太夫を討たれた息子二人が苦難の末に敵を討ち果たすまでを描いた三部作。本演は中の巻「春藤屋敷出立」と下の巻の「郡山八幡」、「大安寺堤」の段である。
作者は文耕堂、三好松洛の合作で、元文元年(1736)5月に大坂竹本座で初演された。今回は、平成3年2月以来の上演となる。今回は他の演目は「鑓の権三重帷子」「女殺油地獄」は近松門左衛門作である。「敵討襤褸錦」の案内チラシには作・近松の名は出ていても文耕堂、三好松洛の名は無い。
これらと比しても上演回数が少ないような気がする。どうしてか。かと、いってこのだしものが面白くないというわけでは決してない。文楽にふさわしい仕掛けが随所にあって楽しめる。
あらすじを追ってみる。春藤家と須藤家は隣り合わせ、仲の良い同士の付き合い。両家の息子と娘の縁談話が調ったところである。ところが、ささいなことから須藤六郎右衛門が春藤助太夫を殺めてしまった。両家は一転して敵同士となる。母親は息子・助太郎(少しオツムが弱い)は妾腹のわが子を自分の手で仕掛けてしまう。仇討ちの邪魔になると考えたのである。唐突であるが見せ場だ。さらに、隣屋敷の娘は恋人が敵となったことを悲しみ自害する。今際の際にひと目恋人の顔を見たいとの娘の望みに、恋人・新七は、井筒の水に映してお互い顔見をする。実に趣向に富んだ美しいシーン。
次幕、「大安寺堤」では、春藤次郎右衛門と新七兄弟が大安寺堤に掘っ建て小屋を建て、乞食に身をやつして仮住まいの身。それでも敵の須藤と彦坂を追うことを止めないでいる。すでに二年の歳月が流れ、次郎右衛門は痛風を患っている。新七は兄の薬を買いに夜の街へ出かける。そこへ刀の試し斬りをしようとの目論みで、宇田右衛門と武右衛門親子がやってくる。 刀の試し切りという趣向が面白い。「夜中に参ったは、体が貰いたさ」と言えば、「ただ命が惜しうございます。お助けなされて下さりませ」と懸命に命乞いをする。仇打ちと言う大切な望みがあるというのだ。宇田右衛門は仇討ちの本懐を遂げるよう次郎右衛門を励まし帰っていく。
その時の武右衛門のセリフ「今日の襤褸は明日の錦、必ず必ず身を大事に追っつけ御本意遂げ給へ」と述べる。この言葉が外題の由来である。
ところが宇田右衛門の方は、仇討ちの相手を知っており、須藤と彦坂を伴い藁屋に手引きして再び登場、傷を負わせて逃げていく。差し入れに再び登場した武右衛門が手厚く支援することを約束する。ここでこの段は幕。その後、仇討ちを成し遂げ、武名を轟かすことで大団円となる。
現在、文楽鑑賞はとてもいい環境にある。イヤホン解説や字幕表示もあるから筋もわかりやすい。こうして感動を与える環境が整ったのはうれしいことだ。
床本を見ていると日本語表現の美しさや短い言葉でふくみのあるイメージを喚起させたり、縁語の使い方などその素晴らしさがわかる。素浄瑠璃だけで十分に芸術・芸能として鑑賞できることを再確認できる。
( 2009/03/01 )
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