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世のうちそと

 セザンヌ展の印象

セザンヌ展の印象
父と呼ばれる画家なのだが

セザンヌが亡くなった翌年の1907年、大回顧展が開かれた。その時にはもう、フランスが生んだ最高の画家という評価が定まっていた。それほど多くの画家がセザンヌを認め、尊敬されてもいた。セザンヌの描いた静物画は実物に近いというよりもどこか哲学的に見える。バラバラに配置されている果物もそれぞれに自己主張がかんじられる。リンゴやナシ、ブドウが自らの歌を謳っているようだ。

ゴーギャンはセザンヌの虜になり、果てに彼の作品「果物鉢とコップとリンゴ」を購入した。それでもセザンヌはほとんど無視した。冷たい男だったように映る。1890年、ゴーギャンは「座る女の肖像」(シカゴ美術研究所蔵)を描いたが、バックには、購入した静物画が描かれている。それほどのセザンヌ信奉者だった。


1890年に画商ヴォラールはセザンヌの個展を開いた。その時はルノアール、ドガ、モネが作品を買っている。プロの絵描きが買うほど研究に値する作品だったに違いない。1900年にはセザンヌを尊敬するドニは、集団肖像画「セザンヌ礼讃」(パリ、オルセー美術館)を描いた。そこにはかつてゴーギャンが買い求めた作品を囲んで、ルドン、ボナール、ドニ、セリュジェ、ランソン、ルーセルらが描かれている。セザンヌの作品はピサロ、ドガ、マティス、ピカソ、ドランなどなども所有していた。彼らに与えた影響は計り知れないものがある。

セザンヌは死ぬ前の7年間はずっと水浴図を描いて、亡くなる1年前に「大水浴図」は完成した。後に続く画家たちは「水浴者たち」シリーズをそれぞれの作品に反映した作品を残している。セザンヌが画家の中の画家、父親とされる所以であろう。

セザンヌの絵の「塗り残し」の意味を知りたい。

そう考えて横浜に向かったわけだった。横浜美術館で開かれた「セザンヌ主義――父と呼ばれる画家への礼讃」(2008年11月15日〜2009年1月25日)に出かけたのである。

 20世紀の前衛運動を担ったピカソやゴーギャン、マティス、モジリアーなどから尊敬の念をこめて‘近代絵画の父‘と呼ばれた画家・ポール・セザンヌ(1839〜1906)。ピカソは「彼は、われわれのみんなの父のような存在だった。われわれは、彼によって守られていたのだ」と発言しているほどだ。

セザンヌとその後の巨匠たちとの作品を対置して展示するというユニークな試みではあった。

これまであげた画家のほかに、ベルナール、ブラック、ヴラマンク、キスリング、シャガールの作品が出展されている。ナビ派、フォーヴィズム、エコール・ド・パリの画家たちの絵画にはセザンヌの影響が見て取れる。

 一方、日本においても、セザンヌは大正期に「白樺」などの文芸誌に紹介され、岸田劉生ら洋画家たちに衝撃を与えた。日本の近代の巨匠たちともいうべき安井曾太郎、森田恒友、佐伯祐三らはパリに渡り、直接影響を受けている画家の作品も展示されている。作品はセザンヌの40点を含め全部で140点である。多くは日本の美術館で購入された作品が主体であるが、「水浴図」「サント=ヴィクトール山」といった大作を期待していただけにちょっぴり残念、感動とまでは行かなかった。それは冒頭のゴーギャンの挿話にあったように、冷たい男のイメージがついて回っているからであろうか。

( 2009/02/15 )

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