「崖の上のポニョ」感想
「崖の上のポニョ」をみる ジブリ作品はなぜ、ヒットする
東京都現代美術館(清澄白河)で9月28日まで開かれた。作品の設計図とも言えるレイアウトは映画制作の基本中の基本、その秘密が公開されている。「風の谷のナウシカ」から最新作「崖の上のポニョ」まで約1300点が公開されていた。
スタジオジブリ作品はなぜヒットするのだろうか。そそて大ヒットしたからといって続編やシリーズ化されるわけでもない。最新作もそう。ポーニョポーニョポニョさかなのこ・・・。「崖の上のポニョ」のテーマソングはとても耳になじむ。映画を見てない人にも藤岡藤巻のおじさん二人と、こまっしゃくれた元気な少女・大橋のぞみちゃんによる主題歌が浸透している。子どもから大人まで口ずさめるメロディーだ。
過去の宮崎作品に見られたニヒリズムは、今回は霧散ししてしまったようである。
最初に目を奪われたのは新宿駅でうねる波の形態と色にの絵ポスターだった。ジブリ作品ということは後で知ったのである。そこに見たのはまさしく日本の波のインジゴブルーの色であった。ロケ地が広島県の鯛の浦となればまさしく日本人になじみの景色である。
葛飾北斎や安藤広重が描いた浮世絵の波がすぐ思い描いたがそれとも少し違う。これまでとは違う惹きつけられる不思議な色使いだった。そんなわけで上映劇場に向かってみたのである。
物語の筋立てはとてもシンプルである。冒頭、海中からポニョがクラゲに乗って家出するシーンからこの映画ははじまる。嵐に合い頭をジャム瓶に突っ込んでしまい動けないところを5歳の男の子・宗介に助けられる。しかし、人間を止めて海の住人となったポニョの父親によって海の中の世界へと連れ戻されてしまう。
宗介に会いたいと願うポニョは人間の女の子に変身、二人は再会を果たす。が、魔法の威力により海は荒れ、嵐が巻き起こる。宗介の母親は心配で勤め先の老人の施設に向かい、子どもたちは家に残される。翌朝、水没した町を見て二人は母親を探す冒険に出る。
家族構成は、海辺の小さな町と崖の上の一軒家。母と子供の生活、父親は船に乗っている。主人公はポニョと宗介である。けれど、ただ今思い返してもラストシーンがどうなったものかきちんと思い出すことができない。おそらくハッピーエンドであったことはたしかだろう。そうした気持ちにさせるのも大自然としての海がもう一つの主役の位置を占めているからである。こちらの印象の方が強烈なのだ。
宮崎駿はこう企画意図を述べている。「誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じ合う。そのために、空間をデフォルメして、海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメート」したとしている。とにかく水の表現に驚く。荒れた海、凪いだ海、雨が降る、それらのすべてがCGを使うのではなく全部手描きだという。総枚数17万というからすごい。
微妙なシーンの表現の素晴らしさは手描きだからこそだ。冒頭の海中のシーン、水面から射し込む光、嵐の中で波打つ山肌、水中でゆらゆらしている海藻類、シンプルなのに柔らかいベースの青が大胆に動き回る。
初原に属するものをためらわずに描いて人類を癒やそうと試みた偉大な物語の大失敗作品なのである。なぜならポニョは人間にならなくてもよかっただろうし人間も登場させる必要もなかった。人間以外の別の異界を描き切ることができたなら、それはそれでよかったであろうと考えたからである。 ( 2008/12/01 )
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