対決[巨匠たちの日本美術]
対決[巨匠たちの日本美術]
来場者と企画者の対決か?
「この展覧会を見ずに、日本美術は語れない」ときた。「くらべてみるとみえてくる」ともある。撰ばれたのは中世から近代までの巨匠。紹介しよう。鎌倉時代からは運慶、快慶。室町時代は雪舟、雪村。永徳、等伯。安土桃山時代は長次郎、光悦。江戸時代は十四人。宗達、光琳。仁清、乾山。円空、木喰。大雅、蕪村。若沖、瀟白。応挙、芦雪。歌麿、写楽。そして最後を飾るのはは明治の鉄斎と大正の大観。以上二十四人。
ただ対決と銘打たれながら対決にはなっていないところが気になる。場所は東京国立博物館。展示期間は7月8日から8月17日までの1ヵ月、これが6回にわたって展示物が替わる。作品保護のためか、それとも人気作品ゆえに他の展示会へ廻されたものか。毎週のように展示替えがある。池大雅の「十便帖」と与謝蕪村の「十宜帖」に至っては毎週頁替えまで行われる。また前半には出たが後半は休場したり、前半はなかったのに後半から出場するものがいたりして、本当のガチンコ対決になっていない。
つまり全貌を知るには最低でも2度3度と会場に足を運ばなくてはいけない。なかなか上手い集客システムになっている。
しかも20点は自身の東京国立博物館の収蔵品。尾形光琳の「風神雷神図屏風」(重要文化財)は同館所蔵品なのに最終1週間の展示しかない。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(国宝)は京都・建仁寺からわずか1週間のお出まししかない。この短期間の対決を見逃した人はお気の毒と言うしかない。
狩野永徳の国宝「花鳥図襖」(京都・聚光院蔵)は前半が梅に水禽図、後半に松鶴芦雁図と分けられ一緒に見ることはできない。少し意地悪とも思える展示構成だ。これでは裏方の学芸員の苦労と緊張感は並大抵なものではないだろう。
鎌倉時代以来、リアリズム美術が主流となるが、それに逆行するような長谷川等伯の作品に感銘を受けた。何か余興気分でサラサラと描かれたと思われた松林図屏風(国宝)。遠くから眺めると一層興趣深く出現してきた。離れて鑑賞してみてはじめて技巧を超越したところに、たまさかの風景画の傑作が生まれたように思えた。
ここに至ってようやく納得する。対決は芸術家同士の作品の優劣勝敗というよりも、見る人と主催者との対決なのではないかということだ。同時代に生きて有名が上がればお互いの存在を意識したかも知れないが、長い時間が経って現代人の眼で見たとき、かつて二人はライバルだったとか、不仲だった、とかいった瑣事は頭を横切ることはない。ただただ芸術品としての素晴らしさの在処に心を向けているものなのである。
だから二人の作品のそれぞれをきっちりみたいという意図はあったとしても天才たちの作品を優劣で見るなんてできない相談だ。企画された方の思いは悪くはないが、いざ作品を集めて見たら狙いとは別のものになってしまったのではないか。
いつの時代の作品であれ傑作は傑作として存在しているもので、比較は寄せ付けないだろうし、あとは鑑賞者の好みの問題と言えるからである。二度足を運んで思いを遂げることができた。対決は企画した学芸員の勝ちか。 ( 2008/07/15 )
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