興福寺阿修羅像を見る
興福寺阿修羅像を見る 中性の魅力に富んだ像 興福寺は1998年12月、世界文化遺産に登録された。国宝館には寺宝(文化財)が多数収蔵されている。八部衆像の中の阿修羅像は国宝であり、最も人気のある仏像だ。もともと仏教以外の宗教の神々が、仏の世界の守り神となったもの。阿修羅は本来は暴れ神であった。 怒り、争い、戦いが好きな鬼神は釈迦の教えに導かれ、仏教を護る八人の善神の一人となった。阿修羅はとくに有名である。
何よりも美しい立ち姿がいい。上半身は幅広の薄布(条はく錦)を左肩から斜めにかけるだけで、裾の短い巻きスカートのような裳をつけ、裸足でサンダルだ。ネックレスやブレスレットをつけている。つつましい美しさだ。
興福寺の阿修羅像は奈良時代に造られた。この像を見る人達の中に、女性像と信じて見る方もいるに違いない。腕と脚は細長く、筋肉もついていない。とても手のつけられない暴れ神だとは見えないのだ。あどけなく、りりしい顔は青年のようにも見える。泣いている青年だ。釈尊の涅槃を悲しんでいる。眉根を寄せ、愁いを含めきびしい表情だ。
顔が三つ、腕が六本ある。三尊像だ。両脇侍が頭部で化仏となった。胸前で合掌しているのが第一手、第二手は右掌に月輪、左掌に日輪を捧げていた。第三手は右手に矢、左手には弓を持っていた。「三面六臂」の活躍という言葉の使い方はここから出た。顔を赤らめているのは興奮しているのだろうか。
興福寺のほかに阿修羅像は法隆寺にも座像一体と、京都・妙法院三十三間堂にある。いずれも国宝である。阿修羅といえば興福寺のものが一番の人気にかわりはない。
純真な少年形で表されている理由は両性具有、モデルは少女かも知れないと思う。ただし、口辺のにこげの髭は少年の証ではないか。腕と脚の細さが際立っている。男なら臍の左右に縦の腹筋が走るはず。ところが腹部のふくよかさ、肩幅の細さ、肩つきの繊細さは優しい姿で女性を思わせる。瞳は清々しく見開かれ、寄せた眉根は愁いに満ちている。中性の魅力に富んだ稀有な像といえる。
古美術写真家として長く仏像を撮っている小川光三さんは、興福寺の阿修羅像が評判になったのは、戦後になってからだと評言している。阿修羅像は早くから奈良帝室博物館(現在の国立博物館)に出陳されていた。戦後は同館北側広場の中央に、単独のケースに入れて展観されていた。天井からの採光がよく入る明るい部屋。その頃から人気が高まったという。
やがて興福寺に国宝館が完成して寺に帰った。照明は、顔の斜め上方からのトップライト。こうすると、とたんに容貌が引き締まり、恐ろしさを秘めた神秘な阿修羅像が出現した。「それは息をのむような表情だった」という。
「人間に近い身近な感じで、しかも人間を越えた理想像。そうしたものが人々の心を捕えているのではないか」と記している。光線や角度の微妙な変化に順応して、さまざまに表情を変えるのは、能面と同じく日本彫刻の特徴でもある。人気の理由はこの像の前に佇むと納得する。
( 2008/07/01 )
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