浅岡利三郎写真が語る「昭和三十年 湖国 暮らしの表情」
男の子が渡し板上で上がろうとしない山羊を引っ張りあげている。彼は坊主頭にランニングシャツ姿、短ズボンの下から下着がはみ出しているが、気にする風もない。
山羊の首はとても苦しそうでいやいやして抵抗している。痩せ細り、どこか痛々しい。道路際には、彼の妹だろうか、おかっぱ頭の女の子が、両腕をあげ脇を見せ、いつもの見慣れた風景として見下ろしている。
山羊は放されていた場所からまだ山羊小屋に戻りたくはないのだ。男の子はさっさとこの任務を切り上げ、自分の遊ぶ時間を持ちたいと思っているに違いない。
この写真を見ていると思わず知らず笑いに誘われてしまう。
タイトルは「山羊の世話は子どもの仕事」。昭和三十二年六月二十日、八日市市(現・東近江市)内で撮影されたもの。日付と場所がわかるのは、写したカメラマンが几帳面な仕事をしていたためだ。
浅岡利三郎さんは、すでに十年前に亡くなっているアマチュア写真家だ。「浅岡利三郎写真が語る昭和三十年代 湖国 暮らしの表情」写真集が白川書院から出た。
浅岡利三郎さんは大正十五年、西押立村に浅岡彦兵衛(五代目)の五人兄弟の三男として生まれた。小学五年生でカメラに興味を持ち土門挙全盛の時代にリアリズム写真を目指した。一時は本業が忙しくカメラから遠ざかるが、定年退職前から、再びカメラの世界に戻る。平成に入ってからは、県展などをはじめとして入選が続く。平成九年、肺ガンのため71歳で亡くなった。
年譜を見ると、裕福な家に生まれたこと。それで、カメラを趣味にできた。九歳の時に母親を亡くしている。このことも、作品世界に微妙に影響しているようだ。ぬくもりがある。被写体になっている人たちの様子が実に自然体である。
まだカメラが珍しがられた時代だ。なのに、カメラ目線などない。周囲に溶け込んでしまっている。よほど人間的に信頼されていたのだろう。
この時代の風景が、今になって脚光を浴びるのは、どのような理由だろう。この昭和三十年代を通り過ぎてきた人にとっては、何よりも懐かしい人と風景に出会うことができる。年輩者にとってはノスタルジーの世界に浸れる。
また今の若い方にも人気があるのもモノクロであることの時間感覚、のんびりした風景に癒されるらしい。
湖国とは今の滋賀県の湖東地方を指す。でもこの一地方に見られた風景は全国にも通じる暮らしの表情でもあった。
撮影されたのは昭和二十九年から三十三年の五年間に限られている。高度経済成長に向う前の日本である。地域では助け合って働く労働の社会があり、子どもたちはどんな場所でも遊び場にしてたくましく育ち、丸い小さなちゃぶ台を囲んでの一家団欒があった。
みんなそれぞれに懸命に生きて、充実した日々を過ごしていた。それがなつかしさの源泉となっている。幸せの実感は今よりも濃い生活だったかも知れない。
これらの写真は地元の写真研究会のメンバーが協力し、図書館などで「写真展」を開くなどしての地道な活動の成果の上に日の目を見たものである。 ( 2008/02/18 )
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