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東京国立博物館「日本美術の流れ」 文化の縫い目を決める難しさ
東京国立博物館へ行った。たまたま「日本美術の流れ」展をやっていた。
通常、作品の生み出された時代によって、区分けされる。古代、中世、近代、現代と大きく分類すれば間違いも少ないが、どこで区切るかがむつかしい。
東京国立博物館では,縄文・弥生・古墳までを「日本美術のあけぼの」の時代と位置づける。となれば、ここには前五世紀頃から七世紀頃の1200年がすっぽり入るわけである。
問題はここから先の分け方だ。
飛鳥・奈良は仏教が伝来して仏教美術が国家的事業まで高められた時代。仏像や経典など古代の仏教美術の仏具が展示されていた。
次いで平安・鎌倉・南北朝・室町時代。この800年間は仏教や宮廷美術が花開いた。平安前期には空海らが中国から導入した密教美術が生まれてた。また、平安後期になると末法思想と浄土教の興隆を背景として、やがて鎌倉新仏教の諸宗派が誕生する。
仏教美術の多様化や宋風の導入などさまざまな展開をとげた。装飾経、高僧伝絵、縁起絵はこの時代の特徴ある作品が展示。
一方、宮廷美術という日本的美意識に基づいた文化が花開くときを迎えてもいた。和歌、物語絵巻が愛好されさまざまに展開される。 さらに、鎌倉〜室町には禅と水墨画の世界が展開され、茶の美術から茶の湯の世界が作られる。平安から江戸にかけて、武士は公家の文化を模範に、独自の力強い文化をつくった。
安土桃山〜江戸には屏風と襖絵、書画の展開がなされ、能と歌舞伎、浮世絵と衣装となれば、現代のわれわれにも、親しみのもてるものとなる。
大急ぎでたどっても日本文化は多彩な美術の展開がなされ、日本人の美意識についてもその影響を受けて、変わって行ったことがわかる。
それでも変わらないものがあるとすれば、それは何か。
それまで抹香くさかった文化世界が安土桃山・江戸になると燦然と光輝く世界に一変する。それまでの辛気くささが消えた。これまでの中国主体から他の国の文化も取り入れられたからであろう。ただ影響力を考えると、中国のそれをなくしては語れない。
中国から眺めた日本文化は両国の年表を見ることで一層明確になる。鎌倉時代に禅宗とともに中国から水墨画が入り、現代まで続いている。安土桃山時代に千利休が大成して現代まで続く茶の湯は、日本が世界に誇る伝統文化である。その世界で使われる品は中国の古美術であったりする。
書画の分野でも安土桃山時代以来多彩な個性によって展開される。中国僧隠元ら黄檗の三筆の書法も江戸中期以降、流行した。
神仏習合の国・日本は武家と町人の世界になってからようやく独自の自前の文化をもった。すべての芸術の歴史の新しい縫い目を決めるのは難しい。歴史書となると正確さと万遍記述が必要だが、それは今では時代遅れである。
日本のイデオロギーは中国のものをどう継承し、読み替え、どう変化させ、どう離れていったか。国境を越えて伝播と交流を繰り返しながら、それぞれの地域に応じた特有の表情をつくりだした。
辻惟雄氏の「日本美術の歴史」(東京大学出版会、2005年)は現在望みうる最良の美術書といえる。時代や分野を超えて日本美術の特質とは何か。他からの影響下に目まぐるしく装いを変えながらも、底にいつも変わらずあり続けるものはあるのか。彼はそれを「かざり」「遊び」「アミニズム」で纏めている。
そのように考えると、時代や文化の境界はそれほど大事なものでなくなり、あいまいになり枠組みも流動的になることを知る。 ( 2008/02/15 )
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