うつむきかげんの女性たち「京都と近代日本画100年」
「京都と近代日本画ー文展・帝展・新文展100年の流れの中で」と題した特別展が京都市美術館で開かれてた。前期が10月6日〜11月4日、後期11月6日〜12月9日。平日にその後期の部を見た。
人もまばらであったためにゆっくりと鑑賞できた。100年が6期に分けられている。博覧会、文部省美術展、帝国美術院展、大礼記念京都美術館展、改組帝展/文展、新文展/戦時文展である。
美術学校や画塾を主体とする京都画壇と関係した明治20年から昭和19年までの作品が並んでいる。その数全110点、うち6点が京都国立近代美術館などの所蔵作品であり、他はすべて京都市美術館のものである。そのつど買い上げられた作品群である。
100年の歴史の流れをもつという意味は、明治40年に国主催の文部省美術美術展覧会が開かれてから、今年で100年になるためである。今日の日展の源流である。
今回の展示会も、「官展」という視点だけでは見えないであろう「京都画壇の栄光と研鑽、自負と叛旗を、当時の展覧会出品作品で楽しんでもらいたい」というのが、主催者の意図するところである。
この間、屏風や軸という伝統的な画面形式から自由な額装に規定が改められるなど、大画面の日本画が追及されていく流れは興味深いものがある。
また、出品作品の時局を反映しているのも長い歴史を持っているわけで感慨深いものがある。組織の刷新と停滞も繰り返したちあらわれる。
人物が描かれている作品を見ていて、奇妙な気持ちになった。
そのほとんどが、目線視線を下げている。ビアノを弾いたり、化粧をするのに鏡を見たり、椅子に掛けたりと日常の動作には下向きの場面が多い。つまり限られた空間には俯きがちなものになるのである。
遠くを眺める時は顎はあがる。風景画には人はあまり出てこない。よって、画家は身の回りの人物を描く時、必然的に俯きかげんの像になったというわけなのだ。女性を描くにしても、そうした構図が最も、美しく映ったのであろう。
図録に「日展100年の源流、京都画壇カク鬨ヲ挙ゲリ」とあるのも画塾の制度や動きで独自の画壇を形成してきた京都画壇の独自の歩みを知ることができる。昭和19年に、戦前最後の官展は一時幕を閉じる。
本展で、心を動かされた作家を一人あげよと言われたなら、上村松園にしたい。「人生の花」[明治32年]、「待月」[大正15年、第7回帝展]、「晴日」[昭和16年、第6回市展]の3点が出ている。
松園は明治8年[1875]京都に生まれ昭和24年[1949]亡くなった。死の前年に女性として初の文化勲章を受章した。格調高い女性像で、独自の美人画を確立した。
「待月」は、ほっそりとした着物姿の女性がうちわを下げて月が上がる時間を待つ図柄である。構図を上下に貫く柱が物議を呼んだ。
ただそれを越える技巧が圧倒的である。違和感など感じない。図録の印刷物で本物とではまったく違う作品にみえる。本物の前に近寄って目を凝らすと、紗の奥に着込んだもう一枚の着物模様がはっきりきっちりと描き込まれているのである。息を呑むしかない。
芸術家の仕事は最期はその作品だけが評価されるものだと納得する。
( 2007/12/15 )
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