九州国立博物館 新機軸を打ち出した威容と展示方法
九州国立博物館は2005年10月、福岡県太宰府市に開館した。東京、奈良、京都に次いで4番目の国立博物館。108年ぶりの誕生だ。
太宰府天満宮は観光の目玉スポット、西鉄を乗り継いで終点の太宰府駅を降りた乗客はパラパラだったのに参道に入るとたくさんの人がいる。平日というのに人が多い。受験や梅の時期にはさらに善男善女で溢れるに違いない。
その梅林を抜けた所に出入口。長いエスカレーターは熱海のMOA美術館を彷彿とさせた。丘の上には流線型の巨大なガラスの建造物が建つ。明るい外観である。これは六本木にできた故黒川紀章氏設計の新国立美術館と似ている。こちらもたくさんの人で賑わっている。大型観光バスが20台以上待機している。団体でやってくるのだ。
エントランスに入る。実に広い空間だ。まさしくアジアの祭りの色にあふれ、目がチカチカする。入口には博多祇園の大飾り山笠。ここもまた入口から、長いエスカレーターに乗って展示フロアに運ばれてゆく。
4階まで吹き抜け天井だ。自然光が注ぎ込み明るい。3階では企画展「本願寺」展を開催中。4階の文化交流展示は常設。テーマは「海の道、アジアの路」。
エアタイトガラス、カッタースポットといったハイテクの新しい展示技術が導入されている。鑑賞方法もゾーン制で好みの所から見られる。だが、戸惑う人もいる。
展示品の説明ガイド本は[アジアージュ]と銘打たれ、副題に小さく「海の道、アジアの路」ビジュアルガイドはある。これまでのものと常識を覆す品だ。これも戸惑うこと著しい。
ページをめくると九州国立博物館文化交流展示室公式ガイドブックとある。うーん。
「あとがき」によれば、「展示の趣旨を理解してもら」ったり「特定の歴史観」を述べるものではないらしい。実物を見たり、触ったりすることで、アジアの歴史に関心をもつきっかけになればいいという考えなのだ。なるほど。
一例。私たちは日本史を学んだ中に「鎖国」時代があった。が、ここでは、その鎖国が「あった」とはいい難いという視点から編集されている。当初は「鎖国」という言葉自体がなかったと主張するのである。
ケンペルの書いた「日本史」の一節を、通詞が「鎖国」と誤訳してしまった。享和元[1801]年のこと。実際は160年後のことなら鎖国という言い方は当たっているらしい。鎖国とは、幕末になって突如作られたコンセプトだったというのである。
その実を証明するために、北の松前、西には長崎と対馬、南の薩摩ね交流事例を挙げるのである。ステレオタイプされた鎖国観は崩れさることになる。 ( 2007/12/01 )
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