誠実に誇り高く生きた男の生き様 特別展「文豪・夏目漱石」
特別展「文豪・夏目漱石ーそのこころとまなざしー」が9月26日〜11月18日まで江戸東京博物館で開かれている。
東北大学創立100周年記念と銘打たれているわけは、漱石が愛蔵した蔵書が今回里帰りを果たしたからである。コレクション800点の公開ははじめてのもの。
漱石を慕って集まる書斎は漱石山房と呼ばれ、昭和20年の東京大空襲の際に灰燼に帰してしまう。幸いなことに漱石の蔵書は小宮豊隆総指揮のもと1年前すでに東北に移送されており、危うく戦火を免れた。
小宮は東北帝国大学教授であると同時に附属図書館長を務めていた縁である。「漱石文庫」の蔵書は約2922冊、うち1707冊を洋書が占める。あくまでも「自分が読みたいと思う本だけを集め」たもので、蔵書には多くの「書き入れがある」のが貴重である。
漱石の出世作「猫」を書くヒントになったのも「ポピー・ザ・リトル」という小説。今回、その本を探したが残念な結果に終わった。
漱石文庫には貸付簿から始まる身辺自筆資料781点、これほど生活の隅々まで世間に公開されても、不都合のない曇りない人生であることに脱帽する。
ともあれ「漱石文庫」のすべての書籍がマイクロフィルム化された。このことで、学外でも漱石を知ることができる。ファンならずともうれしいことである。
漱石は江戸最後の年に生まれ、明治の年号を見届けた後、1916年[大正5]に49歳で没した。年譜を見て改めて、その濃縮された人生に感じ入った。
養家と生家の間を行き来する不遇な幼少年時代の家庭環境、学校を転々とし、留年も経験する。東大卒業後の20代は松山、熊本で教鞭をとり家庭を持つ。
33歳でイギリス留学、帰国後は東京で教師をしながら小説を書き始め、40歳で朝日新聞社に入社。生涯を閉じるまでの約10年間に、今に残る名作を発表した。今回の展示会が朝日新聞入社100年記念とあるのはこのためである。
病歴がすさまじい。幼児には疱瘡が原因であばたに。盲腸炎、腹痛炎で落第、神経衰弱は20代から続き、胃潰瘍は命取りになった。
不安と焦燥感に駆られた20代。ロンドン留学中の2年間は「不愉快極まる生活であった」と自分でも語り、精神を擦り減らした。そんな中でも懸命に勉強し、正岡子規、高浜虚子ら個性豊かな友人たちに囲まれ、影響を受けたりした。
家族に対しても誠実で情愛濃やか、温かな夫としてのまなざしを随所にみることができる。
謡、漢詩、落語、書画の趣味といった幅広い趣味の世界も漱石の滋養分であったろう。
門下生との出会いもまた漱石の人生を豊かにした。洒脱、諧謔合わせた人柄を慕って集まった。漱石は彼らの才能を開花させるとともに、心の交流を深めた。
漱石の「こころとまなざし」のやさしさの源泉をたどると、読書と書くこと、思索に耽ることで身につけたものだろう。誠実に誇り高く生きた明治の男の生き様が見えてくる。
高潔さと清潔、いたわりとやさしさ、人は耐えるものであることを教えてくれる。自らの境遇を嘆かず、常にこの国の前を見詰めていた。いまも勇気や示唆を与えてくれる人だ。そうであっても彼の弟子たちがどれも胡散臭いのもおもしろい。 ( 2007/11/01 )
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