「市井の暮らしと女性たち」清方記念館 こんな下町娘はいない
鎌倉市の鏑木清方記念美術館で特別展「市井の暮らしと女性たち」が開かれた(6月2日〜7月8日) 「孤児院」(明治35年)「たけくらべの美登利」(昭和15年、京都国立近代美術館蔵)、「虫の音」(昭和22年)、「朝夕安居」(昭和23年)といった作品が展示されていた。
美術館は、鎌倉駅を下車、人波で賑わう小町通りを北に7分ほど歩き左折すると閑静な路地に様変わり。玄関から長いアプローチを経て歩むとそこが美術館である。普通の家。清方が昭和29年、76歳の時に移り住んで、昭和47年、老衰により93歳で亡くなるまで住んだ家である。
没後、35年になろうとしている。今は鎌倉市が管理する美術館。小町通りの喧騒とは別世界の静かで清澄な空気さえ感じられるいい雰囲気である。
清方の日常生活が生前のまま保存され往時が偲ばれるようになっている。清方は早起きをし、口を漱ぐと、東の空に向かって拝をし、神棚にも拝んでから、朝食を妻と一緒にとる。終わると、前掛けを掛けて、画室に入る。昼食も妻と一緒、おやつ食べる間だけ出てくるほかはずっと、暗くなるまで画室にいた。入浴して、夕食後、夜はまったく仕事はしない。読書はしたが、夜更かしはしない。これが365日繰りかえされる。居職の職人の生活と変わらない。ご本人は仕事だから良いが、奥様は大変だったであろうことは察しがつく。
清方は樋口一葉を若い時から賛仰し、終生変わらなかった。一葉文学を暗誦するほどに傾倒した。
今回の特別展には、昭和15年制作の「たけくらべの美登利」(京都国立近代美術館蔵)が目玉作品。昭和15年は清方62歳、紀元二千六百年奉祝美術展覧会に「一葉」を出品した年でもある。
清方は、明治29年、18歳の時、「たけくらべ」の画冊を描いた。1図はこどもたち5人らがおはじきをしている情景、美登利は右正面を向き桃割れに前髪を垂らしている。眉上がり、目は細く吊り上がっている。おきゃんな下町娘風である。清方は「心が余って技が足りない」と回想している。
だが、60代となった美登利の描き方はまったくの別人、着物を着こなし、おとなびて、右手に持つ水仙の2輪も成熟した女性、とても10代の娘とは思えない。あまりにも壮麗な美人像は少なくとも、一葉が描いた美登利とは似ても似つかない。同じ人物を描いてこんなにも違ってしまうものか。
明治の東京下町に生まれ育った清方は、その生活に深い思い入れを持っていた。大正の震災や昭和の戦渦で失われた下町の、市井の暮らしや人情を写し留めたいと気持ちが伝わってくる作品が多い。下町の庶民的な情感が随所にちりばめられてもいる。
が、女性はみな庶民の女とは思えない絵が多い。初期の挿絵作家、さらに円熟期の美人画、晩年の肖像画とそれぞれに歴史的な価値を踏まえながら画きわけることができた稀有な画家である。
このことは間違いないが、江戸のの呪縛から逃れてはいないのも事実。美登利のほんのりとしたエロチシズムは粋、優婉、清澄といった江戸前の浮世絵の美人画の系譜の上にのっかっている。下町娘には見えない。
( 2007/07/15 )
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