ダ・ヴィンチの「受胎告知」、天才の空想でしかないのか
フィレンツェ・ウフィツィ美術館所蔵の「受胎告知」(縦98cm、横217cm)が、上野の東京国立博物館で公開中だ。モナリザ公開の時ほどではないが、炎天下のなか90分待ちでようやく対面できた。ただし、絵の前を通り過ぎるだけなので、名画なのかどうかまで確かめるすべはなかった。
若いレオナルドが1472年から73年にかけて描いたとされる絵画作品である。数少ない彼の完成作品のなかで持ち運び可能な作品としては最大の板絵である。しかも彼一人で仕上げた作品で完成させたといわれる。加えて後世の傷みや加筆がほとんどなく、描かれた当時の姿をほぼそのまま残している作品はこの「受胎告知」だけというのである。ほんとうだろうか。
画面の右に処女マリアが椅子に腰を掛けている。左は大天使ガブリエルがひざまづいて、イエス・キリストを身ごもったことを伝える瞬間を描いたものである。
このシンメトリーとも言うべき絵は画面中央の奥の一点に収束する一点透視法という遠近法で描かれた作品としてよく知られている。また、遠くに見える山を青白く霞んだように描いてもいる。これも空気遠近法として理論化され有名なものである。 鳥の羽を見てみると意外な発見がある。上野の会場入り口でも人力飛行機の模型が展示されていたが、その大きさに目を見張ったはずだ。天使のつけ羽根も生々しいが、空を飛ぶほどの力はない。 この絵のマリアにはダ・ヴィンチの母への憧れがにじみ出ていると言われているが、評判にならなかった。馴染みの少ない絵であった。 描く女性は母性に結び付く。私生児として世に立ったダ・ヴィンチは理想としての母親の姿をマリアに求めたのであろうか。天才といえどもまだ20歳の青年だった。
マリアは美しいが、大天使ガブリエルは美しいだろうか。ルカの福音書のみに登場するシーン。背景は金色の幻想的な空間、白百合は処女性をあらわす。翼のある天使が登場するのは中世以降である。
精緻な描写や遠近法。一点透視法の技術、遠くにあるものほど間にある空気の反射によって青白くなり、ぼやけるという空気遠近法はこの絵に必ずしも必須のものではない。ただし正確かつ綿密な植物描写がすごい。徹底したリアリズムを標榜しながら空想でしかない主題を絵にしたのである。
ただこの徹底ぶりは尋常ではない。このために全体の印象は実に不統一なものとなっている。
やはり協同作業の作品と見るべきではないのか。ダ・ヴィンチ自身が中心となったのは事実であろうが、工房の仲間たちと共に描いた作品ではないか。と、なれば「受胎告知」は純粋な意味でダ・ヴィンチの作品と言えない。
若い天才の出発点、毅然としたマリア、庭の草花、天使の影、美しく見える光り、マリアの戸惑い、思慮、問い、謙譲、徳、クール無垢な恥じらい、けなげな意志、どれも天才の技に違いない。作者に疑問の余地なしとは思うものの、いっぽう戸惑いも消せない絵なのである。
( 2007/06/01 )
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