熱海富士と朔太郎
緑化令和6年1月15日 1面緑風 第836号
一家団欒誰もが、新春を寿いでいる元日に出し抜けに襲った大地震、死者・安否不明者は220人を超えている(1月15日時点)。能登半島地震の衝撃はテレビ画面からの女性アナウンサーの絶叫調で避難をよびかける声で始まった。画面は緊急地震速報である。「津波警報が出ました」「今すぐ逃げること、高いところに逃げること」といった声が流れる。揺れていない地域にいた私も思わず避難しなければと思うほどの迫力であった。 新年早々から自然災害や庶民が不幸になるニュースは好まない。明るい未来に向けた話題がなによりである。スポーツ選手の活躍などがいい。大谷翔平選手の話題などがいいのだが金の話ばかりで、貧乏人にはうらやましいだけで気持ちも滅入る。 地元に明るい話題はないのか。あったのである。 熱海富士の活躍ぶりである。私の一押しが熱海富士朔太郎さんである。 何よりも笑顔がいい。土俵態度もいい。立ち合いに大関であろうと正面からぶつかってゆく。大関は横に逃げて、簡単に負けてしまったが、むしろそこから人気が全国区になった。正月番組にも登場していた。おいらは地元後援会に入会してたったの5000円で有力になった気分でいる。「おれがついているぞ」と声をしてみるが、14日からの初場所は黒星タートでなんとも複雑な気持のなかにいる。 朔太郎といえば『月に吠える』『青猫』など、日本の詩壇に不滅の詩集を出しながら、40歳になるまで妻子をかかえて、上州前橋の開業医であった父親の家に居候していた。不肖の息子といえるだろう。 相撲の朔太郎は違う。恵まれた身体を活かし10代から相撲の道に入り関取となり、本人はまず大関の地位を伺う番付まできた。 ( 2024/01/31 )
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