スマホ禍
若い友人は、映画館では見ない。自分の部屋で、しかも早送りで見るという。2時間の映画を1時間で見る。 つまらないシーンと感じたら1.5倍速の早送り再生しながらみる。 どうしてこんな習慣が身についてしまったのか。それも世界的に流行している鑑賞態度らしい。 倍速視聴や10秒飛ばしが若い人の習慣となっているらしい。どうしてか?いまは多くの映像作品を安く視聴できる環境に身を置いていられるためだ。その点ではコロナ禍ならぬ動画禍のなかにあるといえる。 むかしも今も変わらないのは、若いときは余裕がないことだ。金銭的にない。時間的にもない。なにより精神的にない。彼らが趣味として一番に挙げるのは映像の視聴だ。YouTubeやamebaやTVerは無料だ、有料のサービスでさえ、月に数百円から千数百円で無尽蔵に観られる。扱いがぞんざいになるのも無理からぬこと。 倍速視聴やスキップ読みはずっと昔からあった。読書においても飛ばし読み、斜め読みといくらでもある。まして文字主体から、写真や動画主体になったのだ。 課題はある。そんなやり方で脳みそに残り、人生の糧となっていくものかという疑念だ。とても心もとないと思う。今も100年前とたいして変わっていないような気がする。ゼット世代と呼ばれている人たちは物心ついたころからインターネットに慣れ親しんでいる。スマホやタブレットやPCの普及によって個人の嗜好にそった世界が出来上がっている。 Tick―tokを開くと短尺投稿ビデオがランダムに次々と流れてくる。暇つぶしに持ってこいで、しかも癖になる。スマホの小さな箱の中はさしずめ魔法の箱である。宇宙が入っている。自分の問いに何でも応えてくれるから、答えが出ると自分の力だと錯覚する。そうではない。日々ばかになっているはずである。なぜならスマホを失くすると、お手上げ状態になる。もちろん今の若い人の優秀なことは承知だ。ただスマホに頼りすぎた脳みそは危険というしかないと言いたいのだ。 ( 2022/11/15 )
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