緑の日の憂鬱
これを書いている今日は「みどりの日」である。山々は緑色に覆われ、陽に映えて輝いている。なのに気持ちは晴れない。世界中が重苦しいストレスの中にある。本来はウイルスも木々もおなじ自然界の仲間だ。みどりは人類に対し最大級の恩恵を与えてくれる。好感度は満点。対し、新型コロナウイルスは人類への最大級の敵となり、悪災を流行させている。忌み嫌われる疫病だ。断罪したいが、それも困難。共生できる道があるのだろうか。何しろウイルスは人類が地球上に登場した遥か前からいる大先輩なのだ。 安倍晋三首相がこの日の会見で、新型コロナ対応に「緊急事態宣言を5月いっぱいまで延長する」と述べた。 このところ連綿と続き、いつ止むとも知れぬコロナ報道ではある。「国家と国民」ということについて否が応でも考えさせられる。果たして今の日本は信頼するに足るであろうか?国民はどうか?自分は自分を信じきれるのか?あらゆる課題があらわになって来た。 つらつら思うに、人はショックが与えられないと生き方は変わらない。そのことを身に染みて感じる。 静岡県に住んでいると、神奈川県をまたいで東京の勤務地に向かわねばならない。県知事は「地元を離れるな」。都知事側は「来ないで」とクギを刺す。善良なる国民はどうすればいいのだ。板挟みだ。 庶民はいつまでも政府や首長の奨める方策のしり馬に乗っかってばかりは居れない。完全武装して電車に飛び乗る。緊張感のまま 東京駅に着いた。やれやれのひと呼吸。すると車内広告が目に飛び込む。「印鑑捺すためだけの出勤なんて」。
( 2020/05/15 )
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