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 或る老人の死

その老人は73歳で死んだ。法廷の場で「記憶にございません」の名ゼリフを吐いた。その言葉は時空を超えて、今に至るまで普及させた人である。亡くなって33年になる。
会社の玄関をでてすぐに目に飛び込んで来るのがその人の名を刻んだ門柱である。彼が寄進した証明が刻まれている。この春門周りが手直しされ、白いペンキで塗り潰された。神社側が衣替え工事をしたのだ。ただし寄進者の名が消えても建物内は賑わっている。
 思えば昭和51年2月5日、アメリカ議会の多国籍企業小委員会が開かれた。その冒頭の声明でチャーチ委員長はこう発言した。「最も許せないのは、ロッキード社が、日本の極端な政治集団の指導者に、巨額のカネを支払ってきたことだ」と。いわゆるロッキード事件の始まりである。
 世は騒然となった。名指しされた男は日中事変中、海軍省の嘱託として上海に自分の名を冠した機関なるものを作って、その莫大なカネで軍需物資を得た。敗戦後A級戦犯となり、釈放後は残された巨額の資金を保守党に投じ、政財界の隠然たるフィクサーに収まった。人々は彼を右翼の巨頭、またの時は一種の国士として見た。戦争中、アメリカの航空会社ロッキードP38機は山本五十六大将を撃墜した。国士を自他ともに認める人が、秘密のコンサルタントとして、巨額の報酬と、日本への売り込みのためのワイロを受け取っていた。国士としての名は一挙に崩壊した。彼は検事の取り調べに対し「日本海軍を悩ませたロッキードのコンサルタントになったことは、一生の不覚だった」と述べたらしい。
 3度入退院を繰り返したあげく、廃人状態のまま昭和59年に死んだ。なお、ロッキード事件摘発の端緒を作った米上院議員フランク・チャーチもまた、この年膵臓ガンで死去した。
 神社では夏まつりにむけて、踊りの練習が続いている。刎頚の友と言われた田中角栄さんの通いつめた神楽坂最大の料亭も今はない。門柱にあった「児玉誉士夫」の記憶もやがて薄れてしまうに違いない。

( 2017/06/15 )

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