私は近畿地方の山村の出身。大学も自宅から通学できるところに進学した。そんな私が大学三年生を迎え都内で就職活動することになった。恥ずかしながら、上京するのはそのときが初めてだった、今から十年余り前の話である。
「人も建物も、何と混み合っているのだろう」。初めて訪れた東京の印象は「混雑」の一言だった。面接を受けに行った企業の本社の玄関前で視線を上げてみると、青空は周りのビルに囲まれて、いびつな形をしていた。面接で厳しく問い詰められるような質問を受けたこともあり、「こんなに自然が少なく、人間関係も大変そうな東京では暮らしていけないかもしれない」と感じた。
面接で疲れたため一服したかった。地図を広げ、一番近いと思われた公園に立ち寄ってみた。そこは都心の公園なのに、木々がよく茂り、気分が落ち着いた。
その日の東京は初夏の汗ばむ日差しに包まれていた。上着を脱いでベンチで休むサラリーマン。公園内を語りながらゆっくり歩く老夫婦。まだ歩き始めたばかりの子どもの手をひく若い母親。そこで見かけた人々の表情には、山手線の中などで見かけた人々とは違う穏やかさがあった。「うちの田舎と変わらないじゃないか」と思ったら、緊張感が全身からすっと抜けていった。これなら多分東京でもやっていける、とも思った。
その公園こそが日比谷公園だった。私が今東京で仕事ができるのは、あのとき日比谷公園に癒されたからかもしれない。きっと公園は、これまでにも多くの人を包み込んで、元気に街に返してくれたのだろう。
私が学生時代に学んだサル学の権威、河合雅雄先生は、森林が人間を生んだと述べている。人が木々のある公園を愛するのは本能的なものなのかも知れない。人間が本来の姿に再生される場として、日比谷公園が末永く人々に愛される存在であって欲しい。
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