1月17日早朝、時刻5時46分、神戸市三宮のマンションで私は「ゴォー」という音を耳で捉えると同時に体を突き上げられるような揺れを全身で感じ、ソファーベッドから身を投げ出されていました。 その時にはもうタンス、TVなど、家具が無残な姿でした。停電となった暗闇の部屋で、冷蔵庫の中身が飛び出し、コンロの上にあったソースや醤油などの調味料が信じられない所に飛び、壁にぶつかっては落ちていく音を聞きながら、私は見えない敵に謝り続けていたのです。 6時頃、マンションの外でいままで近所づきあいのなかった住民と手をとり合い、助け合いが始まりましたが、私たちは情報に飢えていました。これが混乱をまねく要因でした。何が起こったのか?何をすべきなのか?どこへ行けばいいのか?その苛立ちが時間とともに不安感となっていったのです。 8時頃、商店から品物を持ち出す人々に出くわしました。この状況の中でなんて情けないことをしているのでしょうか。 12時頃、お腹が空いてきましたが食物がありません。なんとか営業中の店を探して飲料水を買いに行ったのですが、定員の態度には腹がたちました。お客にむかって、「あんたは何を買いにきたん?なんでもいいんやろー」「こいつなーえらぶなやあー」とかいっているのです。そして街のあちらこちらでは、火災と喧嘩がはじまっています。 そうかと思えば、一生懸命にお年寄りを力付けている人、食料が手に入ったからといって配っている人、必死で正確な情報収集に力を入れている人もいました。 もし心に「優」「良」「不可」とあるなら、震災時、全員が「優」であるべきなのです。しかし、残念なことに今回の震災では「善」と「悪」が両極端に分かれるという結果になってしまいました。 今は復興を待ち望みながら、人間らしい心を持つ街をとり戻せたらと願っています。 |
第2回(1995年)のみどり提言賞は、「都市景観への提言」「私の心に残る風景」「 阪神大震災に関する私の意見」「こんな公園が欲しい」をテーマに、募集期間〜95/08/31・1,281通のご応募がありました。 |